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京都地方裁判所 昭和35年(わ)1142号 判決

被告人

福田武雄

外三名

主文

被告人木下貞雄、同青木喜太郎を罰金一〇、〇〇〇円に、同板倉次郎を罰金二〇、〇〇〇円に、各処する。

被告人木下貞雄、同青木喜太郎、同板倉次郎において、右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中、証人小川佐助(第六回、第七回公判)、同大橋鉄雄、同古田四郎(第一〇回公判)、同〓伝作、同花田春吉、同田村高次、同臼井俊之、同原田善夫、同和田稔、同荻原辰夫、同岡本忠武、同赤井芳松、同土屋四郎、同亀井由男、同難波晶、同大橋和孝、同吉由清志、同尾上忠義、同原口光雄、鑑定人片岡潔に支給した分は被告人木下貞雄、同青木喜太郎、同板倉次郎の平等負担、証人古田四郎(第九回公判)、同百瀬智夫に支給した分は被告人木下貞雄、同青木喜太郎の平等負担、証人三浦勝也に支給した分は被告人木下貞雄、同板倉次郎の平等負担、証人斉藤辰良、同安持重春、同加藤勲に支給した分は被告人青木喜太郎、同板倉次郎の平等負担、証人内海国夫、同後藤義紹、同鷲田茂に支給した分は被告人木下貞雄の単独負担、証人新谷辰治、同野間敬一に支給した分は被告人青木喜太郎の単独負担、証人武平三、同諏訪佐市、同迫田八男(第一四回、第三六回公判)、同清田十一(第一四回、第一五回公判)、同寺崎義徳(第一四回、第一五回公判)、同三林茂一、同松井博史、同末吉秀雄、同谷中清次、同北方熊吉、同小嶋潜、同尾田富夫に支給した分は被告人板倉次郎の単独負担とする。

被告人福田武雄は無罪。

理由

犯罪事実

被告人木下貞雄、同青木喜太郎、同板倉次郎はいずれも日本中央競馬会京都競馬場の厩舎に所属する馬丁であつて、京都、阪神、中京の三競馬場の厩舎に所属する馬丁の一部二〇〇余名によつて組織せられている全国競馬労働組合関西地方本部の組合員であるところ、同組合では昭和三五年一〇月下旬頃から使用者団体である関西調教師会(当時の会長小川佐助)に対し、年末手当一人当り本人給の二ケ月分の支給、出張手当の五〇円増額、進上金制度を廃止して一率に出走手当一、五〇〇円を支給すること、及び馬丁の労働問題については日本中央競馬会、西日本馬主協会も実質上の使用者であることから、これ等の団体も関西調教師会と共に労務処理機関を常設してその相手方となるように働きかけて貰いたい、旨の諸要求を掲げて交渉に入ると共に、関西調教師会を通じ日本中央競馬会、西日本馬主協会等に対し交渉参加を呼びかけていたもので、その後四回に亘る団体交渉を重ねた末、出張手当増額について妥結をみ、年末手当の支給については双方の歩みよりでほぼ解決の見透しがついたものの、組合が最も重視していた進上金に関する問題(後記説明参照)と使用者に関する問題(後記説明参照)については全く妥結の見透しがたたなかつたため、組合ではこれを不満とし同年一一月一二日夜の決定に基き昭和三五年第五回京都競馬菊花賞レースの行われる当日である同月一三日朝から京都市伏見区葭島渡場島町三二番地所在京都競馬場においてストライキに入つたものであるが、日本中央競馬会はそれにも拘らず当日の予定に従い着々とレース施行の準備を進めると共に、当日出走予定の競走馬を管理する調教師等もまた調教助手、騎手及び同組合員以外の馬丁等を使用し厩舎から装鞍所、下見所を経て馬場へと所定の順序に従い出走馬を引き付けようとしているのを知り、組合では約二〇〇名の組合員を同競馬場の要所要所に配置してピケツテイングを行い出走馬の馬場への入場を阻止せんとしていたものであるところ、

第一、被告人木下貞雄は、同競馬場内装鞍所南入口前付近において他の組合員二、三〇名と共にピケツテイングに参加しているうち、同日午前一一時一五分頃、調教師田中好雄がその管理する出走馬マリー号を同日施行の第二レースに出走させる目的で、自からこれに付き添い、騎手高尾武士を騎乗させ、調教助手田中良平に口取りせしめて装鞍所から下見所に指定された馬場へ引き付けようとして出て来るのを認めるや、南出入口前やや北寄りの地点において、これを引き戻さんとしてその手綱を掴んだところ、右田中良平も手綱を握りしめてこれに抵抗したため、やにわに同人の左胸部を手で突き飛ばし、よつて同人に対し通院加療一〇日間を要する左前胸部打撲傷の傷害を与え、もつて威力を用いて右調教師田中好雄の前記マリー号の引き付け業務、及び同日開催の日本中央競馬会の昭和三五年第五回京都競馬第二レース施行の業務をそれぞれ妨害し、

第二、被告人青木喜太郎は、同競馬場内西厩舎馬道入口付近において他の組合員二、三〇名と共にピケツテイングに参加しているうち、同日午後〇時三〇分頃、出走馬タカフジ号を同日施行の第四レースに出走させる目的で、騎手新谷辰次が騎乗し、馬丁井上広志、同小野田虎美がそれぞれ口取りして、同馬を管理する調教師伊藤勝吉のため同人に代つて、装鞍所に指定されていた西厩舎内の同馬の厩舎から下見所に定された馬場へ引き付けようとして同競馬場西厩舎西出入口通称二号門に向け歩行しているのを認めるや、二号門南側付近において、その通過を阻止せんとし「お前等のためにストやつているんだ」等と怒鳴つたりしていたが、興奮の余り、やにわに右井上広志、同小野田虎美の顔面を手で数回宛殴打し、よつて右井上広志に対し加療五日間を要する左頬部打撲傷の傷害を与え、もつて威力を用いて右調教師伊藤勝吉の前記タカフジ号の引き付け業務、及び同日開催の日本中央競馬会の前記競馬第四レース施行の業務をそれぞれ妨害し、

第三、被告人板倉次郎は、

(一)同午後〇時三〇分頃、調教師武平三がその管理する出走馬テンプウニシキ号を同日施行の第四レースに出走させる目的で、自からこれに付き添い、騎手武邦彦を騎乗させ、馬丁大岩美熊等に口取りせしめて装鞍所に指定されていた西厩舎内の同馬の厩舎から下見所に指定された馬場へ引き付けようとして、前記タカフジ号の前にあつて前記二号門に向うのを認めるや、二号門付近において、その通過を阻止せんとし自から乗りつけて来た自転車をやにわに同馬の進路に突き出しこれに躓かせて転倒させ、よつて同馬に対しレース欠場約二ケ月間を要する右前脚膝挫傷、腰部打撲等の損傷を与えたほか、同馬の転倒の際それに騎乗していた右武邦彦を落馬せしめて同人に対し加療約七日間を要する右膝擦過傷の傷害を、また、同馬に付き添いその付近にあつてこれを制止しようとした馬丁渡辺信忠を右自転車の下敷にせしめて同人に対し加療約二週間を要する左耳翼割傷及び裂傷、左上腕打撲傷の傷害を与え、もつて威力を用いて右調教師武平三の前記テンプウニシキ号の引き付け業務、及び同日開催の日本中央競馬会の前記競馬第四レース施行の業務をそれぞれ妨害し、

(二)その後、更に、同競馬場内西厩舎馬場出入口付近において他の組合員三〇余名と共にピケツテイングに参加しているうち、同日午後一時三〇分頃、出走馬トキノマサル号を同日施行の第五レースに出走させる目的で、騎手清田十一が騎乗し、馬丁迫田八男等が口取りして、同馬を管理する調教師伊藤勝吉のため同人に代つて、装鞍所に指定されていた西厩舎内の同馬の厩舎から下見所に指定された馬場へ引き付けようとしているのを認めるや、同所において、他の組合員等と共に進路に立ち塞がる等してその通過を阻止せんとしていたが、同人等が改めて同馬を尻向けにしたうえこれに付き添う形で押し込んできたことからこれと揉み合つていたものの形勢不利となつたため、やにわに右迫田八男の頭部付近等を長さ約一メートルの棒で数回殴打し、よつて同人に対し加療七日間を要する左頬部打撲傷等の傷害を与え、もつて威力を用いて右調教師伊藤勝吉の前記トキノマサル号の引き付け業務、及び同日開催の日本中央競馬会の前記競馬第五レース施行の業務をそれぞれ妨害し、

たものである。

証拠(標目略)

被告人木下、同青木、同板倉、及び同被告人の弁護人等は、当公判廷において、同被告人等は判示の如き傷害等の所為に及んだ事実はないと主張するので、この点について付言すれば次のとおりである。

(一)被告人木下の犯罪事実について

第一一回公判調書中被害者である証人田中良平の供述部分は十分証明力があり、これと第三一回公判調書中の被告人木下の供述部分、同被告人の検察官に対する供述調書、並びにこの点に関する前掲各証拠を併せ考えると、判示犯罪事実を認定するに十分である。被告人木下及び同被告人の弁護人は、被告人木下が判示傷害の所為に及んだとせられる時点においては、左手でマリー号の手綱を右手に旗竿の折れはしを持つていたのであるから、その際田中良平を手で突き飛ばすが如き所為に出ることは不可能である旨弁疎しているが、これは同被告人の司法警察員に対する昭和三五年一二月一八日付供述調書及び押収に係る写真帳(検乙第九号)中番号二二の写真に対比してみると、真実を伝えているものとは到底認められない。

(二)被告人青木の犯罪事実について

被告人青木の判示犯罪事実については、同被告人に対する前掲各証拠により、殊に同被告人が第一回公判期日において井上広志、小野田虎美に対し判示の如き暴行に及んだことを自認している事跡に徴し、これを認定するに十分であつて多言を要しない。

(三)被告人板倉の判示(一)の犯罪事実について

被告人板倉及び同被告人の弁護人等は、被告人板倉が自転車をテンプウニシキ号目掛けて投げつけた事実はない、同被告人が乗つて来た自転車を二号門の中央に横向けに置き出走馬の通過を阻止せんとしていたが、佐々木馬丁が自転車をとり除けようとして突き飛ばしたので自転車に引張られるような形で二号門の外の人道に出たところ、付近に多数の観客が居るのが目に入つたので、若し出走馬が二号門から飛び出して来るようなことがあっては観客に危害を与えるおそれがあると考え、二号門の西側門柱から三乃至五メートル西方の地点に、外壁と直角に置きその注意を促そうとしていたものである、ところが二号門を出て来たテンプウニシキ号が西方に向い自からその自転車を踏みつけて転倒したものである旨弁疎している。しかしながら、まず第一に、この点に関する前掲各証拠によればテンプウニシキ号は二号門を出て東方に向い、競馬場外の一般人道車道を通り競馬場東側の職員専用のいわゆる正門から馬場に入ろうとしていたものと認められるところ、二号門を出たテンプウニシキ号が何故に逆の西方に向つたのか、右の弁疎はその説明に乏しいし、第二に、この点についてのいずれの証人の証言をもつてしてもテンプウニシキ号が二号門西側門柱から三乃至五メートル西方に離れた地点で転倒したとは到底認められないのである。尤も、この点について一応問題となるのは司法巡査撮影に係る写真一四枚(検甲第四号)中番号三の写真である。即ち、右写真は本件当時採証のため現場に赴いていた伏見警察署の巡査が二号門外側人道上に馬丁渡辺信忠とテンプウニシキ号が倒れている現場を撮影したものであるが、右写真の光の入射方向、影の出来具合、前方に置かれてあるオートバイ、木製ガードが右端をのぞかせている様子、その右端下部に芝草様の盛り上りがあつて角状になつていること、道路幅がかなり広く現われていること等の諸事実を他の証拠と対比して検討すると、右写真は、なお多少の疑いが残るとはいえ、恐らくは二号門西側門柱脇から北々西乃至北西に向けて撮影したものと認めるのが至当であるから、従つて右写真のテンプウニシキ号は二号門の西側門柱のすぐ北方の地点に西々南乃至西南に頭部を向けているものと判断せられる。若しそうであるならば、右写真は判示(一)の犯罪事実認定の資料に供した証人武邦彦、同渡辺信忠、同武平三の各証言によつて認定される事実、即ちテンプウニシキ号は二号門をほぼ直角に出て来た際そのままの方向―右写真のテンプウニシキ号と馬丁渡辺信忠をかれこれ九〇度近く北方に方向転換させた方向―に転倒した、という事実には照応せず、却つて、当裁判所が認定の資料に採用しなかつた証人加藤勲(第二八回公判)、同末吉秀雄(第二九回公判)がそれぞれ証言している事実、即ち自転車が前輪を二号門の西内側に入れ荷台を人道の方に北西に向けて置かれてあつたところへテンプウニシキ号が二号門西側門柱寄りに進行して来たためこれに躓き自から転倒したものである、という事実を裏付けているものの如くである、という点である。しかしながら更に仔細に検討するに、テンプウニシキ号が転倒したため騎乗していた騎手武邦彦も落馬し判示の如き傷害を受けたと認められるのに、右写真においては騎手武邦彦がはや立ち上がろうとしていることが明らかであるし、問題の自転車が画面から既に消えている事実と併せて勘案すれば、右写真はテンプウニシキ号が転倒した直後のものではなく、或る程度の時間が経過した後に撮影されたものと認めるの外はないのである

(第五回公判調書中証人臼井俊之の供述部分参照)。果して然らば、テンプウニシキ号が何等かの事由により当初の転倒方向を変じたとしても別段不合理はないのであるから、右写真は必ずしも同被告人の右弁疎の真実性を支える証左とはならないし、また判示認定を覆すに足りる証拠でもない。

(四)被告人板倉の判示(二)の犯罪事実について

被告人板倉及び同被告人の弁護人等は、更に、被告人板倉はトキノマサル号が尻向けになつて押し込んで来てから間もなく、共にピケを張つていた組合員たる馬丁三浦勝也が警察官に逮捕され競馬場西方に駐車中のジープまで連行されたため同人の後を追つて現場を離れてしまい、同被告人が判示傷害の所為に及んだとせられる時点、即ちトキノマサル号が西馬場出入口の橋上から馬場内に尻向けに入りかけた頃には、既にその場に居なかつた旨弁疎している。しかしながら本件証拠によれば、三浦馬丁が逮捕せられたのはトキノマサル号がピケラインを突破し馬場内に出てしまつた後であると認めざるを得ない。けだし、証人三浦勝也の第二七回公判における証言によれば写真帳(検乙第九号)の写真中番号一四、一九の写真で箒を持つている男、及び同二〇の写真で制止されている男、並びに同四三、四六、四八、四九の写真にある白ワイシヤツと濃い色の帽子を着用している男が三浦馬丁であると認められるのであるから、同人は少くともこれ等の場面のときまでは逮捕されず西馬場出入口付近に居たものと認められるところ、右四三、四六、四八、四九の写真を綜合し、且つ写真帳(検乙第七号)の写真中番号一〇五の写真にチエツク模様の上衣を着て写つている被告人福田武雄が同一〇一の写真、及び写真帳(検乙第九号)の写真中番号三九、四七の写真にも写つている事実をも併せ考えると、写真帳(検乙第九号)の写真中番号四九の写真はトキノマサル号が既に馬場内に入つてしまつた後の写真であると判断するのが相当であるから、従つて三浦馬丁が逮捕せられたのはトキノマサル号が馬場内に入つた後であると認められるからである。尤も、本件犯行現場付近の争議の経過を撮影した写真帳(検乙第七号)の写真中番号七三乃至一〇九の写真、及び写真帳(検甲第九号)の写真中番号二六乃至五一の写真のうち、前者については番号九五までの写真において、後者については番号三〇までの写真において、二枚に一枚位の割合で被告人板倉若しくはそれらしい者の姿が認められるのに、それ以後の写真においては同被告人を発見することができず、しかもこの時期が即ち同被告人の犯行現場を離れたと主張している時点とほぼ一致している点において多少の疑問がない訳ではない。しかしながら、これ等の写真は事の次第を巨細もらさず全部撮影しているものではないし、撮影の位置、そのアングル等を勘案すれば背の高からざる同被告人が右の写真に写り得る可能性はむしろ少いのであつて、他に特段の事跡が認められない本件にあつては、右の一事をもつて判示認定を覆すに足りる証左とすることはできない。

適条

法律に照すと、被告人木下貞雄、同青木喜太郎の判示所為中田中良平、井上広志に各傷害を与えた点はいずれも刑法第二〇四条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、調教師田中好雄、同伊藤勝吉、及び日本中央競馬会の各業務を妨害した点はいずれも刑法第二三四条、第二三三条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するところ、右はそれぞれ一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから刑法第五四条第一項前段、第一〇条、同法施行法第三条第三項により最も重い各傷害罪の刑に従い、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、所定罰金額の範囲内において被告人木下貞雄、同青木喜太郎を罰金一〇、〇〇〇円に各処する。

被告人板倉次郎の判示所為中出走馬テンプウニシキ号に損傷を与えた点は刑法第二六一条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、武邦彦、渡辺信忠、迫田八男に各傷害を与えた点はいずれも刑法第二〇四条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、調教師武平三、同伊藤勝吉、及び日本中央競馬会の各業務を妨害した点はいずれも刑法第二三四条、第二三三条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するところ、判示第三の(一)の各傷害及び器物損壊と各威力業務妨害とはそれぞれ一個の行為で数個の罪名に触れる場合であり、また判示第三の(二)の傷害と各威力業務妨害とは一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項前段、第一〇条、同法施行法第三条第三項により判示第三の(一)の所為については結局一罪として最も重い渡辺信忠に対する傷害罪の刑に従い、判示第三の(二)の所為については最も重い傷害罪の刑に従い、所定刑中いずれも罰金刑を選択するところ、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四八条第二項により各罪につき定めた罰金額を合算し、その合算額以下において被告人板倉次郎を罰金二〇、〇〇〇円に処する。

被告人木下貞雄、同青木喜太郎、同板倉次郎において右罰金を完納することができないときは、刑法第一八条により金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文に則り、被告人木下貞雄、同青木喜太郎、同板倉次郎に対し、主文第三項掲記のとおりそれぞれ負担させることにする。

訴訟関係人の主張に対する判断

検察官は、被告人木下、同青木、同板倉はその所属する組合の指令に基き本件当日開催の京都競馬に出走する競走馬の出場をあくまで阻止する目的の下に、他の組合員等と共謀のうえ、判示の如き暴行、傷害等の所為に出でたばかりでなく、調教師、調教助手、騎手、及び同組合員以外の馬丁等の出走馬引き付け行為に対し、その進路に立ち塞がり、喚声をあげ、赤旗や寝藁棒等を振り廻し、或いは爆発音を発する玩具用花火を投げつけて炸裂させる等の威力を振い、もつて田中好雄等調教師、及び日本中央競馬会の判示の如き業務を妨害したほか、関係各調教助手、騎手、及び馬丁等の出走馬引き付けの各業務を妨害したものであつて、右は、本来、平和的な看視説得乃至は団結力そのものに伴う威力を背景とする平和説得の程度に限られるべきピケツテイングの正当性の範囲を著しく逸脱し、社会通念上到底許容し得ないほどの不当な所為であつて威力業務妨害罪にいわゆる威力に該当することは明かである、と主張する。

被告人木下、同青木、同板倉、及び同被告人の弁護人等は、まず第一に、本件公訴は棄却せらるべきであり、第二に、本件における日本中央競馬会の競馬施行業務、及び関係各調教師、調教助手、騎手、及び馬丁等の出走馬引き付け業務はいずれも威力業務妨害罪にいう業務に該当しないし、第三に、被告人木下、同青木、同板倉の本件所為はいずれも労働組合法第一条第二項、刑法第三五条にいわゆる正当行為であり、第四に、仮に然らずとしても、同被告人等の本件所為は刑法第三六条の正当防衛行為である、と主張する。

よつて、以下順次その判断を示す。

第一、事実関係

本件証拠によつて認定せられる事実は次のとおりである。

即ち、

(一)、全国競馬労働組合関西地方本部(以下第一組合という)は昭和三三年一月組織せられ、京都、阪神、中京の三競馬場の厩舎に所属する馬丁の一部二〇〇余名によつて構成せられている労働組合であり、執行委員長は吉田清志、副執行委員長は被告人福田武雄、書記長は尾上忠義であつて、本部を京都競馬場に置き、総評に加盟し、オルグ百瀬智夫等の指導を受けていたものである。

なお、京都、阪神、中京の三競馬場の厩舎に所属馬丁の他の一部一〇〇余名は別に日本馬手組合関西支部(以下第二組合という)を結成し、総同盟傘下にあり、第一組合と異なる運動方針をとつていたものである。

(二)、第一組合は昭和三五年一〇月下旬頃から使用者団体である関西調教師会(以下調教師会という)に対し、1、年末手当一人当り本人給の二ケ月分の支給、2、出張手当の五〇円増額、3、進上金制度を廃止して一率に出走手当一、五〇〇円を支給すること、及び4、従来から交渉のさい大なり小なり持ち出されてきた使用者に関する要求、つまり日本中央競馬会(以下競馬会という)、西日本馬主協会(以下馬主会という)等も馬丁の実質上の使用者であるからこれ等の団体も調教師会と共に労務処理機関を常設しその相手方となるよう働きかけて貰いたい、旨の要求事項を掲げて交渉に入ると共に、調教師会を通じ競馬会、馬主会等に対し交渉参加を呼びかけていたものであるところ、本件前日までの四回に亘る交渉の結果、調教師会長小川佐助等の努力もあつて、右2の出張手当増額の点では妥結をみ、1の年末手当については双方の歩みよりの結果はほぼ解決の見透しがついたが、第一組合が最も重視していた3の進上金問題、及び4の使用者問題については全く解決の目途がたたなかつた。進上金とは入賞した出走馬の馬主が競馬会から交付される賞金のうち一〇パーセントを調教師に、五パーセント宛を騎乗した騎手及びその出走馬の担当馬丁に与える金員を言うのであるが、馬の優劣は血統などの先天的要素で決るところが大きく、従つて進上金を得ようとする馬丁は優秀な馬を持馬にするため必然的に調教師に媚びねばならず、逆に調教師の側からすれば馬丁に対する差別待遇の道具にも供しやすい制度でもあるので、第一組合としては、進上金制度の全廃はともかく、少くともさきに中央労働委員会から示された斡旋案に則り、賞金の五パーセントを第一組合員間においてのみ均等に配分するという線においてでも解決することを望んでいたものである。また、使用者問題というのは、馬丁の雇用契約上の使用者は調教師ではあるが、今回を含めこれまでのいずれの団体交渉においても、第一組合の要求事項―その詳細は記録に編綴されてある協定書と題する書面五通によつて明らかである―に対し、調教師に権限乃至経済能力に欠けるところがあつて十分な解答が得られない実状であつたため、第一組合はこれよりさき昭和三四年一二月五日の交渉の際、当時の調教師会長武田文吾との間に「組合の申入れに対し調教師会は……競馬会……馬主会、調教師会で構成する(使用者側)労務処理機関を設け、夫々誠意と責任によつて解決する」旨の協定を締結していたものであり、しかも右協定を締結するに際し武田文吾が事前に競馬会、馬主会の了解を取りつけていたこともあつて、第一組合としては馬丁の問題については競馬会、馬主会等の加入なしに終局的な解決はあり得ないとしてその交渉参加を強く要望していたことをいうのであるが、調教師会は本件前日である一一月一二日の交渉において、進上金問題については第二組合員等を含む全員の同意があれば全員均等化の制度にすることもやぶさかではないが、第一組合員のみの均等化には応じられないと拒否し、使用者問題については、調教師会もまたそれなりの奔走を試みたものの、折りから本件京都競馬開催のため上洛していた競馬会労務担当理事亀井由男、同理事兼本件競馬開催執務委員長野本宇兵衛等は競馬会が使用者側の一員として交渉の衝に当ることを拒否したため解決の運びに至らず、同日遂に交渉は決裂するに到つた。

(三)、そこで第一組合は一一月一二日夜組合大会を開き翌一三日からストライキに入る旨を決議して調教師会及び競馬会に通知し、次いで一三日午前八時頃から第一組合員の大部分の者が職場を放棄し京都競馬場内の馬丁食堂で待機していた。一方、吉田第一組合委員長、百瀬オルグ、尾上書記長等は小川調教師会長の要請により、同日午前八時頃から京都競馬場事務所二階応接間で亀井競馬会労務担当理事、野本開催執務委員長等と会合していわゆるトツプ会談を開き、第一組合側の前記の諸要求事項につき重ねて交渉を行なつたが、1の年末手当については一・五ケ月分を支給することで妥結をみたほかは、3の進上金問題、4の使用者問題についてはいずれも押問答に終始し、その間使用者側は度々席を外して協議するなどを繰り返すばかりで一向進展の気配もないままに経過しているうち、同日午前一〇時頃に到り、馬丁食堂に待機していた第一組合員等が着々レース施行の準備が整えられているのを察知しこれを報告したため、事態の急を知つた吉田第一組合委員長等は調教師会、競馬会の非を訴えて交渉を打切り馬丁食堂に引揚げるに到つた。これよりさき、競馬会は京都競馬場事務所二階会議室で一二日夜の打合せに引き続き第二回目の開催執務委員会を開き、農林省から出向していた高柳監督官も列席している席上で、野本開催執務委員長が第一組合の争議に備え若しピケを張り出走馬を通常の順序に従つて馬場に入れることが困難な事態が生じた場合には出走馬のいる各厩舎を装鞍所に、またスタンド前の馬場を下見所に指定することを発議し、出席各委員もこれを了承してこれが対策を講じていたものであるが、前記のトツプ会談を開催するに当り、その当事者たる第一組合、競馬会、調教師会間において、会談中は組合側もこれ以上争議行為を進めないと共に、競馬会、調教師会においてもレースを強行したり或いはその準備で組合員を刺戟するようなことを一切行わない、旨の確約があつたにも拘らず、競馬会は、その後においても、一方ではトツプ会談に参加すると共に、他方では調教師等をして当日の出走馬を予定の順序に従い所定の装鞍所へ引き付けせしめていたものである。

(四)、馬丁食堂に引揚げてきた吉田第一組合委員長等は待機していた第一組合員等に対しトツプ会談決裂を告げピケを張ろうと呼びかけ、これに応じた第一組合員等は四、五列の縦隊になり装鞍所に向け出発し、途中吉田第一組合委員長、百瀬オルグ等の発案で当日朝近くの駄菓子屋から買求めさせていた玩具用花火(いずれも押収に係る証第一号乃至第五号参照)を第一組合員に配布したりなどしながら京都競馬場事務所横の広場で渦巻デモなどを行つていた。ところがその頃すでに所定の装鞍所に入つていた第一レースの出走馬が装鞍所を出て下見所へ向おうとして渦巻デモに遭遇し暴れ出したことから、急拠進路を変更して所定の下見所に赴かず通常の出入口と異なる東厩舎馬場出入口から馬場に入つたため、第一組合も直ちに渦巻デモに参加していた組合員等を二隊に分け、一隊を装鞍所に、他の一隊を西厩舎馬場出入口(以下西馬場出入口という)及び西厩舎馬道入口に赴かしめてピケを張ることにした。

(五)、装鞍所に向つた一隊は第一組合所属の馬丁の妻などで組織されている緑会の婦人二、三〇名をも混えた総勢七、八〇名で、当初、装鞍所北出入口(以下北門という)付近に集合していたが、その頃既に装鞍所に入つていた第二、第三レースの出走馬が同日午前一一時一五分頃、北門を避け平素釘付けなどして使用していない装鞍所南出入口(以下南門という)を開き、騎手が出走馬に騎乗し、調教師、調教助手、及び第二組合所属の馬丁等がそれに付き添い或いは口取りしてどつとばかり飛び出して来た。いち早くその気配を察知した被告人福田等第一組合員等約二〇名は急拠南門前に赴いてピケを張り、スクラムを組み、赤旗を振り、喚声をあげ、花火を南門前付近に投げつけるなどしていたが、形勢不利とみて北門付近に居た被告人木下等一〇余名の第一組合員も応援に駈けつけ、付近の厩舎から持ち出した寝藁棒を使つたり手綱を掴んだりなどしてこれを阻止しようとしたが、次々と騎乗して出て来る出走馬の力に結局押し切られてしまい―判示第一の犯罪事実はこの際に発生したもの―、出走馬は淀川堤防添いのいわゆる帰り道から馬場に入り、開催執務委員会の前記の決定に従い、第一レースと同様、馬場決勝審判台前付近を臨時の下見所として下見を行つたうえレースを施行した。なお、その際、南門から出られなかつた出走馬一頭が装鞍所の東北角の板塀を外して出た事実もある。

(六)、一方、西に向つた一隊は西馬場出入口と西厩舎馬道入口付近に分れそれぞれピケを張つていたが、その頃すでに装鞍所を使用することが困難であると判断した馬場取締委員戸嶋千秋等は前記の決定に則りその後の出走馬については各厩舎をそれぞれ装鞍所と指定し、検量を済ませた鞍を各厩舎で装鞍のうえ騎乗して馬場に入ることを指示していたものであるところ、同日午後〇時三〇分頃、装鞍を終え西厩舎付近で出口を求めていた第四レース出走馬六頭が、騎手浅見国一の騎乗するヤマノミノル号を先頭に、四番目位にテンプウニシキ号、最後尾にタカフジ号の順序でそれぞれ騎手を乗せ第二組合所属の馬丁等に口取りさせて競馬開催中は出入を禁じられている京都競馬場西厩舎西出入口(以下二号門という)に向いこれをこぢ開けて出ようとしていたため、西厩舎馬道入口付近でピケを張つていた被告人青木等二〇数名の第一組合員は直ちにこれに赴き、また付近に居た被告人板倉もこれに加わり、出走馬の前脚に抱きついたり手綱をとつたりなどして揉み合つたが―判示第二、第三の(一)の犯罪事実はこの際に発生したもの―、制御不能となつたタカフジ号と負傷のため出走を断念したテンプウニシキ号を除くその余の四頭は結局これを突破し、一旦場外に出て人道車道を通り京都競馬場東側の職員専用のいわゆる正門を経由して馬場に入り、また、第四レースの出走馬のうち東厩舎にあつた他の三頭は厩舎から直接馬場に入つてこれと合流し、第一レースと同様、馬場決勝審判台前付近で下見を行つたうえレースを施行した。

(七)、二号門付近でピケが突破された後、被告人板倉は西馬場出入口付近に赴き第一組合員三〇余名と共にピケを張り、赤旗を立て、花火を鳴らし、喚声をあげるなどして気勢をあげ出走馬の通過を阻止せんとしていたが、各厩舎を装鞍所と定められた第五レースの出走馬はそれぞれの厩舎において装鞍を終えたのち、東厩舎にあつた六頭中五頭は淀川堤防添いのいわゆる帰り道から、他の一頭は正規の馬場出入口から、また西厩舎にあつたうち六頭は二号門から一旦場外に出て職員専用のいわゆる正門経由でいずれも妨害を受けることなく馬場に入つたが、ヤマサカエ号(この出走馬はこれよりさき一号門から一旦場外に出て、次いで二号門から再び場内に戻り西馬場出入口から馬場に入ろうとしていたものである)、トキノマサル号の二頭は西馬場出入口のピケを突破して馬場に入ろうと企て、それぞれに騎手が騎乗し第二組合所属の馬丁四、五名が口取りして守衛等に付き添われてこれに突入を試みて来たので、同所にピケを張つていた被告人板倉等第一組合員は更に花火を鳴らし、喚声をあげ、手綱をとるなどして一旦はこれを押し戻したものの、続いて今度は付近に待機していた警察官約三〇名が警棒を抜いてピケの中に分け入つて来るのと同時にヤマサカエ号、トキノマサル号の口取りをしていた第二組合所属の馬丁等が馬を尻向けにして押し込んできたため、付近にあつた寝藁棒等をも持ち出して阻止せんとしたが結局押し切られてしまい―判示第三の(二)の犯罪事実はこの際発生したもの―、ヤマサカエ号、トキノマサル号は他の経路で入つて来た出走馬と共に馬場決勝審判台前付近で下見を済ませてレースを施行した。

かように認定することができる。

第二、公訴棄却の申立に対する判断

被告人木下、同青木、同板倉の弁護人等は、本件公訴は刑事訴訟法第三三八条第四号により判決で棄却せらるべきであると主張し、その理由として述べるところは次のとおりである。即ち、本件の捜査段階においては不必要な強制捜査を多用しているばかりでなく、本件各被告人等を分散留置し、弁護人との接見を制限し、且つ弁護人の要求にも拘らず被告人等に対する被疑事実すら告知せず不当に弁護権を制限している。のみならず、本件の捜査並びに公訴提起の目的はようやくその基礎的建設をおえようとしていた第一組合の組織破壊を狙いとする違法の目的に出たものである。しかも、本件公訴は本件ストライキに到るまでの使用者側の第一組合に対する数々の不当労働行為、及びストライキに伴うピケツテイングに対する調教師、騎手、及び第二組合所属の馬丁等の暴力行為によるスト破りの行為に対してはことさらに目をとじ、正当な争議権の行使に終始した被告人等に対してのみその刑事責任を追及しようとしているものであつて、このような一方的処分は第一組合を弾圧する意図の下に公訴権を濫用し起訴便宜主義に反してなした違法な起訴である、というのである。

しかしながら、理由の前段において主張するいわゆるクリーンハンドの原則に反するとする点については、本件記録を精査しても捜査官が不必要な強制捜査を多用し、又は弁護人主張の如き方法により弁護権を不当に制限し、或いは本件捜査及び公訴提起が弁護人主張の如き意図に出でたものであることを認めしめるに足りる事跡はない。被告人等の分散留置については、本件各被告人の逮捕状勾留状及び勾留に関する処分についての書類に徴すると、被告人福田は京都府警本部警備第三課で逮捕された後京都府七条警察署に勾留せられ、その後京都拘置所に移監せられており、被告人木下は京都競馬場内で逮捕せられた後京都府下鴨警察署に、被告人青木は京都競馬場内で逮捕せられた後京都府上鴨警察署に、また被告人板倉は阪神競馬場内で逮捕せられた後京都府西陣警察署にそれぞれ勾留せられたが、各被告人ともいずれも勾留期間満了前に釈放せられていることが明らかであるが、右の分散留置がことさら弁護人の接見を制限する意図に出でたものであることを肯認せしめるに足りる証拠がないばかりでなく、分散留置によつて弁護人が他の一般の多数被疑者の一斉捜査における場合に比しどのほどの不当な制限を受けるに至つたのか、その程度についてはこれを明かにするに足りる証拠も主張もないのであるから、本件起訴がいわゆるクリーンハンドの原則に反するが故に無効であるとする点についてはその前提においてすでに理由がない。弁護人等は理由の後段において検察官が公訴権を濫用し起訴便宜主義に反してなした違法な起訴である理由を縷々陳述しているけれども、およそ検察官の起訴、不起訴の判断が常に適正であるとは保証できないこと弁護人の主張するとおりであり、それがため現行法は検察審査会、準起訴手続その他の制度を設けてこれがコントロールを図ることに努めているのであるが、不起訴処分又は起訴猶予が相当であるに拘らず公訴を提起した場合に関してはとくにこれを抑制する方策を規定していない。不当起訴に対する救済手段としての性格に親しみやすい旧刑事訴訟法のいわゆる予審免訴の制度(旧刑事訴訟法第三一三条)は現行法のとらないところである。従つて、現行法においては、検察官による公訴取消の制度に多くの効果を期待できない現状に則してみても、なお、犯罪の嫌疑のないこと又は起訴猶予が相当であるにも拘らず公訴権を濫用し或いは刑事訴訟法第二四八条に違反して公訴を提起したことが、公訴事実の内容、検察官の立証活動その他訴訟の経過において一見すでに明瞭である特別例外の場合は格別、然らざる場合はすべからくそれに対し実体的判断を加えしめんとしている法意であると解するのが相当であり、他事件を不問に付して本件のみを起訴したとか、被告人等の所為が正当な争議権の範囲内のものであるというが如き主張は、右にいう特別例外の場合には該当しないものであるところ、本件公訴事実の内容、検察官の立証活動、その他訴訟の全経過に徴しても本件公訴が公訴権を濫用し犯罪の嫌疑のないものを起訴し或いは刑事訴訟法第二四八条に違反して提起されたものであることが一見すでに明瞭であるとは到底認められない。しかして、他に当裁判所は刑事訴訟法第三三八条第四号に基き本件公訴を棄却しなければならない必要を認めない。

第三、本件における競馬会、調教師、調教助手、騎手、及び第二組合所属の馬丁等の業務の適法、違法等に対する判断

被告人木下、同青木、同板倉の弁護人等は、本件における競馬会、調教師、調教助手、騎手、及び第二組合所属の馬丁等の起訴状記載の業務はいずれも威力業務妨害罪にいわゆる業務に該当しないと主張し、その理由として述べるところは次のとおりである。即ち、(イ)、威力業務妨害罪にいわゆる業務とは適法なものであることを要するところ、まず、競馬会の本件当日における第二、第四、第五レースにおける競馬施行業務はいずれも公認競馬としての公正性の担保に欠ける違法な業務である。そもそも競馬は本質的には賭博に外ならないから、競馬会の施行する競馬においても競馬施行に関する法律上の公正性が確保されはじめて適法な業務といい得るにすぎない。公正性は法定された競馬施行手続を形式的画一的にそして厳格に貫くことによつてのみ担保せられるものであるのに、本件当日の第二、第四、第五レースにおいては或いは正規の装鞍所を用いず、正規の下見所における下見を行わず、出走馬が装鞍所から馬場へ出場するまでの正規の馬道を通行せず、いずれも臨機の措置と称し許容し難い便法を用いてレースを強行しているのであつて著しく公正性を欠くものである。しかる以上右各レースは賭博罪における賭博と択ぶところがないのであるから、競馬会の右業務は公序良俗に反する違法な業務である。また、本件における田中好雄等調教師、調教助手、騎手、及び第二組合所属の馬丁等のマリー号等、出走馬の引き付け業務は競馬会の右の如き違法な業務の一環としてそれに加担して為したものであるから、これまた公序良俗に反する違法な業務である。しかして、(ロ)、ここにいわゆる業務とは人がその社会上の地位において継続的に従事する適法な仕事をいうのであるが、そもそも出走馬の引き付け行為は騎手の業務ではない。馬丁は競馬開催時においては出走馬の引き付けを業務とするものであるが、それとても予め定められている自己の持馬を引き付けることに限定せられているのであつて、他の馬丁の持馬を引き付けることはその業務ではない。本件においては騎手、及び第二組合所属の馬丁等がその業務の範囲を超え或いは持馬以外の出走馬を引き付けているのであるから、一つには、このような偶然の臨時一回限りの引き付け行為は業務とはいえないし、二つには、右は第一組合と調教師会との間に昭和三四年五月八日締結された持馬変更禁止の協定に反する違法な措置である。のみならず、(ハ)、本件においては調教師のほか調教助手、騎手、第二組合所属の馬丁等の出走馬引き付け業務をそれぞれ妨害したとせられているのであるが、調教助手、馬丁は調教師本来の業務である出走馬の引き付け業務を補助するものにすぎず、騎手は騎乗を本来の業務としているものであつて本件においては偶々調教師の依頼によりその補助者として引き付け業務を補助していたものにすぎないから、調教助手、騎手、及び第二組合所属の馬丁等の行為は調教師の引き付け業務に吸収され、これ等の者に対する独自の業務妨害罪は成立しない。また、本件ピケツテイングは調教師等のなす出走馬の引き付け行為に対して行なつたものであつて、競馬会に損害を与える意図の下にその職員に向けてなしたものではない。従つて、競馬会と調教師の業務の相互関係については、競馬会の競馬施行業務は調教師等の引き付け業務の背後に埋没し去つてしまい、それとは独立の保護法益とはなり得ないものと見るのが相当である、というのである。

よつて、まず、競馬会が施行した本件第二、第四、第五レースの適否について検討を加える。中央競馬にあつては通常レースが施行されるまでの順序方法は次のとおりである。即ち、

競馬開催に当つてまず開催執務委員が定められる。開催執務委員は、出馬投票、走路の指示、下見所、馬場その他競走に必要な設備の管理及び人馬の救護に関する事務を司る馬場取締委員、出走馬の負担重量の計量に関する事務を司る検量委員、出走馬の馬体検査、馬の競走能力に影響を及ぼす薬品及び薬剤の取締並びに装鞍所における馬の管理に関する事務を司る獣医委員、その他の委員によつて構成され、委員長はその長として当該競馬の開催に関する事務全般を掌理し、他の委員を指示統轄してこれに当ると共に、競馬の紛争処理に従事するものであり、副委員長は委員長を補佐すると共に緊急必要の場合には臨時に委員長の職務を行なうものである(日本中央競馬会競馬施行規程第一四章、以下施行規程という)。レース当日において当日所定の登録、投票などの手続を経て出走予定馬となつた競走馬は所定の厩舎に入り、獣医委員は直接、又はその補助者を使用して、出走時刻二時間三〇分前から各厩舎にある出走馬の監視を始める。出走時刻一時間三〇分前に到ると当該出走馬の管理者たる調教師は直接、一般には配下の馬丁を使用して、一定の設備を有し外部と遮断されている所定の装鞍所に出走馬を引き付ける(施行規程第八四条。尤もこの引き付けに際しては通路は別に制限を受けていないからそれぞれ適宜近道を通つているのが実状である。装鞍所における出走馬は獣医委員の管理下に入り(施行規程第八五条)その監視に服し、その間、即ち出走時刻前七〇分から三〇分までの間に騎手は所定の前検量(施行規程第八一条第一項)を受け、次いで装鞍所に赴き係員の指示に従い自から又は馬丁を使用して装鞍する。出走時刻約三〇分前に調教師は直接、一般には配下の馬丁を使用して、馬場取締委員の命ずるところに従い出走馬を所定の専用馬道を通り所定の下見所に引き付ける。下見所において下見が行なわれている間、騎手は出走時刻一五分前までに下見所に出向き馬場取締委員の命ずるところに従つて騎乗し、常歩で所定の馬道を通つて馬場に出て(施行規程第八七条)レースが施行される運びとなるのであるが、馬場入口までは馬丁が口取りして行くのが通常である。

かような順序方法によつてレースが施行されるものである。これに対し、本件当日における第二、第四、第五レースの施行方法順序は前記第一の(五)乃至(七)に認定したとおりであつて、その概略は、第二レースにおいては、正規の順序に従い所定の装鞍所に入つていた出走馬を通常使用していない南門等から出し、所定の馬道と異なる淀川堤防添いのいわゆる帰り道等を通つて馬場に入り、所定の下見所以外の場所である馬場決勝審判台前付近で下見を行つたものであり、第四、第五レースにおいては、所定の装鞍所以外の場所である出走馬の現在する各厩舎においてそれぞれ装鞍する等所定の手続を了せしめたうえ、所定の馬道と異なる二号門―人道車道―職員専用のいわゆる正門経由で、或いは西馬場出入口から、又は淀川堤防添いのいわゆる帰り道を通る等の方法によつて馬場に入り、所定の下見所以外の場所である馬場決勝審判台前付近で下見を行つた、という次第であつて、装鞍所、下見所の右の如き変更は、本件当日朝京都競馬場事務所二階会議室で第二回の開催執務委員会を開いた際の前記認定の如き決定に基き、具体的には馬場取締委員戸嶋千秋等がその変更を指示したものである。馬道の変更については、右の決定において特に明示されてはいない。尤も、装鞍所、下見所の変更は当然その間の通路たる馬道の変更をも包含しているものと解すべきではあるが、それ以上の具体的な取極めが為された事跡はなく、開催執務副委員長宮川知典が第二レースの出走馬について装鞍所南門の使用を指示したと認められる以外は、たかだか装鞍所と指定された各厩舎から下見所と指定された馬場までできるだけ近道を通つて出るようにとせられていた程度であつて、それ以外は出走馬を引き付ける調教師、調教助手、騎手、及び第二組合所属の馬丁等の具体的判断に一任せられていたものと認められる。そこで問題は、装鞍所、下見所、及び馬道の右の如き変更が果して正当な措置といえるかどうかである。競馬法が畜産振興その他の行政目的を推進する必要から競馬会その他の団体に競馬の開催を特許する反面、競馬法施行令(以下施行令という)第一条第一項において、競馬会は…装鞍所、下見所…及び競馬場内外の境界柵などの設備を備えた競馬場でなければ競馬を開催してはならない旨の、その第二項において、農林大臣は競馬場の設備が不適当であるため競馬場内の秩序を維持し、又は競馬の公正を確保することができないと認めるときは、競馬会に対しその所有する設備についてはその変更を命…ずることができる旨の一般的な義務権限を定めているほか、競馬法付属法令において競馬施行のための設備及び手続に関し詳細且つ具体的な規定を設けている所以のものは、けだし本来賭博といい得る競馬の、それが不正無秩序からくる賭博性の顕在化、悪質化を極力防止し、公正性の確保と秩序維持に努めんとしている趣旨に出たものに外ならない。然らば、競馬施行のための設備手続規定は、原則的には、形式的画一的にそして厳格に解すべきものであること弁護人等所論のとおりである。しかしながら、これ等の設備手続は如何なる場合においてもいささかの変更をも許されないものと解すべきでない。競馬法第二四条施行令第一六条競馬会法第八条第一項に根拠を有する施行規程第一四九条の二第二項が、委員長は災害その他やむを得ない事由により競馬を開催することができない場合…、あらかじめ理事長の承諾を受ける余裕がないときは理事長の承諾を受けないで、競馬又は競走を取り止め又は中止することができる旨を規定し、開催執務委員長が競馬又は競走を「取り止め又は中止」できるとするのみで、他に競馬施行についての設備手続の一部を変更し修正することの許否及び条件については直接これを明言する規程は存しないけれども、取り止め又は中止を許容している同条項の当然の解釈として、競馬又は競走の公正性の確保と秩序維持の要求が満たされる限り、開催執務委員長はやむを得ない事由の存する場合、競馬施行のための設備手続の一部を変更し、所定の装鞍所、下見所、及び馬道に代えて他の施設を指定使用せしめ得る権限を有しているものと解するのが相当である。弁護人等主張の如く、変更に関する直接の明文を欠くことを理由に如何なる変更をも許さない法意であると制限的に解しなければならない理由も必要もない。そこでいまこれを装鞍所、下見所、及び馬道のそれぞれについて具体的に対比検討するに、装鞍所は出走馬に対する興奮剤投与の防止、出走馬の確認、病気その他の発見、禁止馬具の取締り、所定の装鞍を行うこと等の目的のために設けられている設備であつて、獣医委員が自から、又は補助者を使用して、その監視の任に当るものであり、下見所は馬場取締委員の責任の下に一般観客に出走馬の下見をせしめて勝馬投票券の購入に際しての資料を提供する目的のために設けられている設備であり、また馬道は装鞍所で所定の装鞍を終えた出走馬の状態をそのまま維持するため外界と遮断する目的で設けられている設備である。京都競馬場にあつては、これがため、装鞍所として競馬場内の一画を高さ約二メートルの塀で四囲をとりかこんで外部と遮断し、その内部に六〇の馬房を一目で監視できるように配置しており、調教師、騎手、馬丁等一定の関係者以外はみだりに出入りすることができず、監視員を入口に配してこれが監視に当らしめており、また下見所としては出走馬を引き廻す小馬場に接着してその周囲に下見所を設け観客の便に資するよう配慮し、馬道には特に一般観客と接触する公算の大きい個所に外壁を設けるなどして他から隔離する施策をほどこしている。しかるに、本件第四、第五レースにおいては所定の装鞍所に代えて出走馬の現在する各厩舎を臨時の装鞍所に指定せられているのであるが、京都競馬場の厩舎にあつては、その一隅に馬丁及びその家族等が居住しており、ために常時商人その他一般人の出入りがあつて、所定の装鞍所に比し独立性において不完全である。のみならず、レースがほぼ三〇分毎に施行されるため少くとも二レース分の出走馬を同時に常時監視しなければならないのに、当日の出走馬の現在する厩舎は東西合わせて九七棟収容可能頭数六〇〇余頭の広大な厩舎群の中に点在しているため、このような場所について十分な監視を行い得たかどうかは多分に疑問の存するところである。また本件第二、第四、第五レースにおいてはいずれも所定の下見所に代えて馬場決勝審判台前付近を臨時の下見所に指定せられているのであるが、同所は所定の下見所に比し下見をする観客と出走馬との距離がいささか遠く、ために十分の下見を行い得たかどうかの点についての疑いを払拭し去ることはできない。更に、馬道については、第二レースの際の淀川堤防添いのいわゆる帰り道にしても、第四、第五レースの際の二号門―人道車道―職員専用のいわゆる正門経由、或いは西馬場出入口から直接若しくは右のいわゆる帰り道その他の方法にしても、いずれも所定の馬道に比し観客乃至は一般人との接触が自明であるか若しくはその可能性が極めて大であつて明かに隔離性を欠いていたものと言わなければならない。かくの如く臨時に指定された装鞍所、下見所、及び馬道にはそれぞれ大なり小なりの欠陥があり本来の機能を果すのに十分なものであつたとはいえず、従つてかかる設備手続によつて施行された本件第二、第四、第五レースはいずれもその公正性の確保において明かな瑕疵があり違法レースであつたと言うべきである。しかしながら、前述の如く、獣医委員の出走馬に対する監視は出走時刻二時間三〇分前の、出走馬が未だそれぞれの厩舎にある時点においてすでに開始されるものであつて、装鞍所に入つた後に始めて監視が開始されるものでないこと、本件第四、第五レースに際しては馬場取締委員の補助者たる監視員が多少なりとも増員せられて監視に従事していたと認められること、下見所については、観客のすべてが必ずしも常に十分詳細に下見をするものではないし、場外馬券の制度も認められており、ダービーなどの大レースに際しては出走馬が多数で所定の下見所が使用できないため馬場を下見所と指定した事例も存すること、更に馬道については、所定の馬道においても観客一般人との接触の可能性が絶無ではないことなどの諸事情に鑑み、且つ、本件当日朝京都競馬場事務所二階会議室で第二回の開催執務委員会を開いた際、前記認定の如き設備変更の決定を為すに当り、農林省から出向して同席していた高柳監督官が施行令第一条第二項の規定にも拘らず右の設備変更の決定に特段の指示を与えなかつたこと、並びに多数の観客が特段の疑念もさしはさまず結局レースを施行するに至つた事跡をも勘案すれば、本件第二、第四、第五レースはその公正性の確保において右の如き瑕疵があつても、なお、刑法上保護するに値する業務ということができる。なお、弁護人等は、競馬会の本件第二、第四、第五レースが違法であることを理由にそれに加担した田中好雄その他の調教師、調教助手、騎手、第二組合所属の馬丁等の出走馬引き付け業務もまた違法である旨主張するが、所論はすでにその前提において失当であること右に述べたところによつて自から明らかである。

次に、競馬会並びに調教師、調教助手、騎手、馬丁の各業務の相互関係及び個数等について検討を加える。調教師は厩舎の経営者であつて、馬主から競走馬の預託を受け飼養調教管理し、競馬開催時には出走馬を所定の場所に引き付ける(施行規程第八六条)などの業務を行なうものであり、本件第二、第四、第五レースにおける出走馬の引き付け行為は本来調教師に課せられた業務である。しかしながら調教助手は特定の調教師に雇われ当該調教師の業務を補助するもの、馬丁は特定の調教師に雇われてその命を受け持馬とせられている一頭乃至二頭の競走馬につき調教師の行う飼養管理の補助をするほか、慣習として調教師の行う引き付け業務を代行するなどの業務を行なうものであつて、いずれも調教師の補助者にすぎず、それとは別個の独自の引き付け業務を有するものではない。従つて、調教助手及び馬丁については、一般に、当該調教師の出走馬引き付け業務の外に、それ等の者の引き付け行為を別個に威力業務妨害罪の保護法益として独立に論ずる実益はない。また騎手は競馬開催時にあつては下見所から騎乗して馬場に入り競走することを主たる任務とするものであつて、出走馬の引き付けはその本来の業務ではない。ところで本件第二、第四、第五レースにおいては調教助手、騎手、及び第二組合所属の馬丁等が出走馬一頭につき二、三名乃至五、六名付き添い或いは騎乗して引き付けを行なつているのであるが、右は当該出走馬の管理者たる調教師のそれぞれの依頼に基き調教師の行う引き付け業務を補助していた関係にあつたものと認められる。そこで問題になるのは、これ等の者を補助者に使用してなした調教師の本件引き付け業務が果して正当であるかどうかである。馬丁が慣習として行う出走馬の引き付け行為は、当該出走馬を持馬としている担当馬丁がしかも一人で行うのが通常であると認められるのであつて、他の馬丁その他の者が代つて引き付けるのは担当馬丁が急病であるとか、二頭持ちの馬丁であつてその持馬を自から引き付けることができない事情にある場合のほかはほとんどその例を見ないものの如くである。しかるに本件第二、第四、第五レースにおいては右の担当馬丁引き付け独占の慣行に反し、本来引き付けを行うべき馬丁以外の者に引き付けを行わしめているのである。即ち、第二レースの八頭中七頭、第四レースの一〇頭中六頭、第五レースの一五頭中一一頭は少くとも第一組合所属の馬丁の持馬であり、しかもこれに代つて引き付けた第二組合所属の馬丁のうち少なからざる数の者(およそ三分の一程度と認められる。)は第一組合所属の馬丁とはその所属する厩舎すらも異にしていることが明らかである(神内観次郎作成の「昭和三五年一一月一三日の馬丁争議における出走馬の担当馬丁及び出走経路などの調査について」と題する書面添付の別表中この点の記載部分は措信できない)。なお、これを本件第二、第四、第五レースにおける判示認定の出走馬について述べれば、第二レースのマリー号には田中良雄、田中良平、高尾武士のほか騎手候補者領家政蔵がつき、第四レースのタカフジ号には新谷辰次、井上広志、小野田虎美等が、テンプウニシキ号には武平三、武邦彦、大岩美熊、渡辺信忠等がつき、第五レースのトキノマサル号には清田十一、若松慶蔵、迫田八男のほか佐々木義雄馬丁等数名がついて引き付けたのであるが、そのうちテンプウニシキ号が右大岩の、トキノマサル号が右若松の担当馬であり、タカフジ号も第二組合所属の馬丁の担当馬であるが、マリー号は第一組合所属の馬丁の担当馬であつて、また右加勢者中渡辺信忠以外の者はそれぞれ本来の担当馬丁と同一厩舎に所属しているものであると認められる。かくの如く本件第二、第四、第五レースにおいては本来引き付けをなすべき馬丁以外の者が出走馬の引き付けに従事している事実は明らかである。従つて、調教師が本件第二、第四、第五レースにおいて当該出走馬を持馬とする第一組合所属の馬丁をさしおき、これに代えて調教助手、騎手及び第二組合所属の馬丁等を使用したことは、担当馬丁引き付け独占の慣行に反した不当なものであつたといわなければならない。しかしながら調教助手、馬丁は抽象的には出走馬の引き付け行為を行い得る者であること、本件においては調教師のそれぞれの依頼に基きこれを承諾した調教助手、騎手、及び第二組合所属の馬丁等が任意に調教助手の行う引き付け業務を補助していた実状にあつたと認められること、並びに右の担当馬丁引き付け独占は、競走馬が一般に神経質であるという特性と進上金が当該レースに現実に引き付けを行つた馬丁に支給されるという経済上の理由からの慣行と考えられること、等の諸事情を勘案すると、調教師等の本件出走馬の引き付け業務について右の如き瑕疵があつても、なお刑法上保護に価する業務ということができる。なお弁護人等は、右は昭和三四年五月八日締結の持馬変更禁止の協定に反すると主張するが、右協定が本件の場合の如き臨時一回限りの変更についてまで言及したものと解することは困難である。以上要するに、本件における調教師の出走馬引き付け業務は、担当馬丁引き付け独占の慣行に反するに拘らず、なお威力業務妨害罪にいわゆる業務というに妨げないものであり、他方、調教師の出走馬引き付け業務の外に調教助手、騎手、及び第二組合所属の馬丁等の引き付け行為が別個に威力業務妨害罪の保護法益となるものではない。従つて、調教師の引き付け業務の外に、調教助手、騎手、馬丁等の引き付け行為もまた保護法益となるとする検察官の主張は失当であるが、右はいずれも一個の行為で数個の罪名に触れるものとして起訴せられたものであること本件起訴状の記載及び検察官の釈明に徴して明らかであることから、特に主文において無罪の言渡しをしない。続いて、競馬会と調教師の関係についてみるに、競馬会は競馬の健全な発展を図り馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与する目的のため競馬法、日本中央競馬会法(以下競馬会法という)に基いて設立せられた特殊法人であつて、競馬を開催し、馬主、馬、服色等の登録を行い、調教師及び騎手に免許を与え、その他競馬の健全な発展を図るために必要な業務を行う(競馬会法第二〇条、競馬会定款第一八条)ものである。一方、調教師は、ごく一部の例外を除き、一般には、馬主と競走馬の預託契約を結び、預託を受けた競走馬につき雇入れた調教助手、馬丁等を使用して前述の業務を行うものであつて、競馬会とは雇用関係はない。これが競馬開催に際しては、その管理する出走馬を所定の場所に引き付けるが、この引き付け行為は競馬施行のための手続の一部を構成することになるとはいえ、この関係はむしろ請負乃至は準委任と目すべき性質のものであるし、また引き付け行為に対しては前記第一においても触れているとおり競馬会の種々の指揮監督に服することになるのであるが、これは競馬会が前記の如き目的を達成するための必要に出でた措置であるというべきである。従つて、弁護人の主張する如く、調教師の出走馬引き付け業務の中に競馬会の競馬施行業務が埋没し去つてしまうものでもなければ、逆に競馬会の競馬施行業務の中に調教師の出走馬引き付け業務が吸収されその独立性を失つてしまうものとも認められないから、競馬会の競馬施行の業務のほか、これと竝んで、調教師の出走馬引き付け業務もまた威力業務妨害罪の保護法益たるものと解するのが相当であつて、この点に関する弁護人等の主張は採用できない。

第四、正当行為の主張に対する判断

検察官は、被告人木下、同青木、同板倉は他の第一組合所属の馬丁等と共謀のうえ、調教師、調教助手、騎手、及び第二組合所属の馬丁等の出走馬引き付け行為に対し、その進路に立ち塞がり、喚声をあげ、赤旗や寝藁棒等を振り廻し、或いは爆発音を発する玩具用花火を投げつけて炸裂させるなどして出走馬の入場を阻止せんとした行為もまた威力業務妨害罪にいわゆる威力としてその責任を負うべきであると主張する。

これに対し、被告人木下、同青木、同板倉の弁護人等は、同被告人等の本件所為は労働組合法第一条第二項、刑法第三五条にいわゆる正当行為であると主張し、その理由として述べるところは次のとおりである。即ち、そもそも争議行為の正当性の限界は労使対等を実現するという観点の下、一般的個別的な労使関係の諸事情を綜合して、その行動が労働者の立場において客観的に必要やむを得ないと認められるかどうかが判断の鍵となるものであるところ、本件において使用者側は第一組合との間の約束をことごとく反古にし、信義に反して競馬を開催せんと目論み、前述の如く公正性の担保のために定められた競馬法の諸規定を無視してレースを強行せんとし、まず出走馬を先頭に立て、騎手はこれに騎乗して鞭を振り廻し、その周辺には第二組合所属の馬丁等が付き添い、調教師、調教助手はこれ等の者を指揮して先頭に立ち、平常使用していない門を突き破るなどし、平和的説得の場すらつくる余地を与えず、ピケラインの強行突破を行つたものである。これは前述の如く、騎手はその本来の業務の範囲を超えて、また第二組合所属の馬丁等は予め定められた持馬以外の出走馬をそれぞれ引き付けたもので、とりもなおさず職場代置によるスト破りであるし、スキヤツプ禁止協定と同視し得る前述の昭和三四年五月八日の持馬変更禁止の協定にも違反するものである。のみならず、調教師、調教助手は騎手、及び第二組合所属の馬丁等のスト破りを指揮し自から先頭に立ちピケラインに殺到してきたのであるから、同被告人等がこれに対しその進路に立ち塞がり喚声を上げるなどの所為をもつてこれに応じたからといつて、これを違法ということはできない、というのである。

よつて按ずるに、被告人木下、同青木、同板倉が本件所為に及ぶまでの経緯は判示犯罪事実及び前記第一において認定したとおりであつて、要するに、第一組合は調教師会との団体交渉に続くいわゆるトツプ会談の決裂に伴つてストライキに入り、次いで馬場内の要所要所に第一組合員を配置してピケツテイングを行なうことになつたところ、吉田第一組合委員長、百瀬オルグ等はその際第一組合員に対し赤旗七、八本と前記花火を配布すると共に、スクラムを組み手綱をとるなどして出走馬の出場を阻止するよう指示していたものであり、第一組合員等はこの指示に従い使用者側が強引に出走馬の引き付けを行うのならこれを阻止するのも要求を有利に導くためやむを得ないと考え、その進路に立ち塞がり、喚声をあげ、赤旗や寝藁棒などを振り廻し、手綱をとり、馬に抱きつき、花火を鳴らす等の所為に出でてこれが阻止を図つていたものである。尤も吉田第一組合委員長は寝藁棒その他の器具を使用し又は積極的加害行為に出ることを極力禁止していたことが明かであるのに、第一組合員等は寝藁棒等を振り廻して消極的な阻止行為に当つているが、しかしこの点は右指令の趣旨に著しく違反する独自の判断行為となすべきほどのものではない。

ところで、争議行為の手段の正当性は、労使双方の具体的諸事情に則し社会通念によつて判断すべきものであるところ、本件においては使用者側の行為についても決して等閑に付し得ない事跡のあつたことを認定することができる。即ち、その一は、競馬会と馬丁との間には、調教師と竝んで、労働法上いわゆる労使関係が存在するものと認定せられるのに、競馬会は第一組合の再三の要求にも拘らず団体交渉に出席して交渉に応ずることを拒否し、徒らに調教師馬丁間の紛争を激化せしめ、本件団体交渉決裂の主たる原因をつくつていると認められる事実である。競馬会と馬丁間に労使関係が認められるとするのは、主として次の如き事情によるものである。

1、馬丁の雇用関係、馬丁は調教師と雇用契約を結ぶ(施行規程第四二条)のであるから直接の使用者は調教師である。しかしそれに際し、普通は一〇日長くて二ケ月位の試用期間を置き、また馬主の意見も酌んで採否を決め、競馬場長に担当馬名と共にその旨を届出てその承認を受けることが要求されている。競馬会がこの届出と承認を要求している趣旨は、馬丁が厩舎など競馬場内諸施設を利用することになるのでその管理の必要や、馬丁に対し後述の如く種々の経済的給付をなしているのでその負担の調節の必要、その他馬丁の質の向上、雇用の安定、スソ馬の防止(一度も入賞できないくず馬をも飼育することを許可すると馬丁の数が増加せざるを得ず、ために馬丁の給料が相対的に低下せざるを得なくなることを防止しようとすることをいう。)などの必要に出でたものであると考えられる。尤も承諾を拒否した事例は絶無に近いようである。

2、馬丁の解雇関係 これは調教師が行い競馬会は直接には関与しない。雇用承認の際届出た担当馬をその後変更してもこのことは当然に馬丁の雇用関係を終了させるものではない。ただ解雇については競馬場長の事後的承諾を得ているもののようである。

3、労務の担当 直接の相手方は勿論調教師ではあるが、競馬開催時においては担当の出走馬の引き付け業務を行うものであつて、これが競馬会の競馬施行手続の構成分肢を形成していること前段説示のとおりである。

4、労働に関する具体的指揮 平日における労働の指揮監督は厩舎の経営者たる調教師であるが、競馬開催時とりわけ発走時刻二時間三〇分前に獣医委員の監督下に入つてからは競馬施行手続の構成分肢となり競馬会の指揮監督に直属してしまう感があり、所定の馬丁服を着用しないとか装鞍所の中で不都合な所為に及んだ場合などには競馬会から直接命令を受けることになつている。

5、処分関係 主たる処分権者はもとより調教師であるが、競馬会もまた馬丁が開催執務委員の命令又は指示に従わないなど施行規程第一二〇条、第一二六条に規定する諸事項に違反するときは、これに対し直接競馬関与禁止若しくは停止、戒告、過怠金の徴収等の処分を行い得る。競馬関与禁止の処分は事実上馬丁を競馬会から締め出すことに近い。

6、給与関係 (1)基本給 馬丁の基本給は一頭持ちの馬丁には本人給と称する一定額が、二頭持ちの馬丁には本人給に加えて増(複)馬手当がそれぞれ支給されるのであるが、当時の支給額及びそのうち競馬会の負担部分は次表のとおりであつて、例えば中央競馬経験年数三年以上の馬丁は一頭持ちで一六、〇〇〇円、二頭持ちで二二、〇〇〇円の支給を受け、そのうち競馬会は前者につき二、五〇〇円、後者につき三、五〇〇円を実質上負担している。

〈省略〉

競馬会の負担部分以外の給付部分は調教師が支給するのであるが、それは調教師が馬主から受ける領託料の中に馬丁に支給する分として組み込まれているものである。

(2)夏期手当、年末手当、夏期手当は本人給の約一・二五ケ月分、年末手当は同一・五ケ月分支給されていたが、これは競馬会が実質上全額負担している。(3)家族給付、勤続給付、休業給付、休務給付、医療給付などの諸給付

当時家族給付は家族一人につき月一、〇〇〇円、勤続給付は最高月一、〇〇〇円程度、休業休務給付は調教師会と第一組合との間に締結された昭和三四年五月一六日付「協定書」と題する書面中第四項、第五項のとおりの金額がそれぞれ支給されていたのであるが、これ等諸給付の給付者はいずれも一応は財団法人競馬共助会(以下共助会という)となつているものの、共助会の財源は、一部は会員たる調教師、騎手、馬丁等の掛金や競馬場内売店の売上収入などによるものの外は、大部分は競馬会からの助成金で占められていること等の事情を考慮すれば、これまた競馬会が実質上の支給者であるというのに近い。(4)その他の諸手当、その他の諸手当などとして輸送手当一日八〇〇円、五月から一〇月までの草刈手当月八〇〇円、出張手当一日二〇〇円、競馬会の施設に入居していない者に対する住宅手当月五〇〇円、被服手当年二、〇〇〇円相当の現物給付等があるが、これ等諸手当については競馬会は関与していないもののようである。(5)進上金、その詳細は前述したとおりである。(なお、第七回公判調書中証人小川佐助の供述部分、及び証人亀井由男に対する当裁判所の尋問調書によれば、競馬会が実質上の負担者であると認定した前記の諸給付につき、それは勝馬投票券の売上総額の六パーセントをもつてする賞金の予算の範囲内で支給されているものであるから馬主の負担になるのであるとの趣旨に帰着する証言がある。しかし仮にその六パーセントの中から支給されるとしても、売上金があつた場合その六パーセントが自動的に馬主の誰かに帰属してしまい競馬会がそれを他に流用することができないとする法的根拠に乏しく、むしろそれは競馬会の内部問題であつて、その範囲内で競馬会が適宜賞金の額を決定することになるとする方が真実に近いものと考える)

7、福利施設関係 競馬会は厩舎に付属する通称部屋という馬丁用の居室や場外に馬丁用宿舎を所有し、採算のとれない安い賃料で貸与しているし、実費で販売する馬丁食堂や無料の浴場等の設備も設けている。

以上要するに、競馬会は自からその主体となつて競馬を開催し自からの計算において莫大な利潤をあげている特殊企業体であるのに、公正性の確保その他の見地から、これに出走する競走馬の関係部分のみを馬主ひいては調教師等厩舎関係者に委せている形態をとつているのであつて、それがため競馬会は競馬開催時においてはもとより平日においても馬主並びに調教師等に多大の関心を払わざるを得ず支援を措しまないものといい得る。かくの如き実状を綜合して勘案すれば、馬主と馬丁との関係はしばらく措くとして、競馬会と馬丁との間には労働法上いわゆる労使関係が存在するものと認定し得るのである。しかるに競馬会はそれを否定している労働省の見解(検甲第七一号労働省労働基準局長から都道府県労働基準局長宛の「調教師馬丁間の労働関係について」と題する書面参照)に依拠してか団体交渉に応ずることを渋り、また調教師が第一組合と昭和三四年一二月五日前認定の如き労務処理機関設置に関する協定を締結するに際し、競馬会は当時の調教師会長武田文吾に対しその了解を与えていたと認められるのに労務処理機関設置について誠意を示さず、本件前日の第四回の団体交渉の行われた当日、及び本件当日朝のトツプ会談の席上、いずれも競馬会の労務担当理事その他の役員が現在していたのに、使用者の一員として団体交渉の相手方となることを拒否し続け、これが交渉決裂の主たる原因となつたと認められる事実である。その二は、調教師等の本件における出走馬引き付け行為がいささか強引に失した譏りを免れないと認められる事実である。馬丁は本来予め持馬とせられた出走馬の引き付けのみを行うものでみだりにこれが代替は許されないものであるのに、調教師の依頼に基き調教助手、騎手、及び第二組合所属の馬丁等をしてその持馬以外の出走馬の引き付け行為に従事せしめたものであること前段詳述したとおりであり、これは弁護人の援用する昭和三四年五月八日の持馬変更禁止の協定に直接違反するものとは認められないまでも、少くともスト後に雇用せられた労働者による職場代置ではないかと疑われる嫌いが多分にある。のみならずその引き付け方法において、本件第二、第四、第五レースについてみても、騎手を出走馬に騎乗せしめ或いは出走馬を尻向けにして押し込む等の所為に出でたるものであることこれまた前段認定のとおりである。本件争議の全経過においてもまた、調教師の一名がスクーターに乗つてピケラインに突込み第一組合所属の馬丁の家族にかなりの傷害を負わせるなど、使用者側乃至第二組合所属の馬丁等において大なり小なりの暴力を振つたのではないかと窺われる節も存するのであつて、これ等の行為はいずれも著しく不当なものであつたといわなければならない。その三は、前記認定の如く、本件第二、第四、第五レースについてはその施行手続において明かに違法と認められる点のあつたことも、決してこれを軽視することは許されない。その他、トツプ会談の開催中競馬会はレースを強行し或いはその準備で組合員を刺戟するようなことは一切行わない旨を確約しているに拘らず、一方においてレース施行の準備を進めるなど、非難せらるべき所為もある。かような使用者側の諸事情を綜合してみると、第一組合所属の馬丁等が出走馬の進路に立ち塞がり、喚声をあげ、赤旗や寝藁棒などを振り廻し、手綱をとり、馬に抱きつき、花火を鳴らすなど前記の如き所為に及んだ点はいささか行き過ぎの嫌いも存するけれども、未だ刑法の諸規定をもつて処罰しなければならないほどに著しく不当なものとはいえず、許容せられる争議行為の範囲内に止まるものとするのが相当である。

なお、右の判断に際し問題となる点につき更に付言すれば次のとおりである。即ち、まず第一に、調教師会と第一組合との間において昭和三五年五月三一日作成された協定書と題する書面(検甲第七三号)によれば、諸手当と年末手当につき平和義務乃至平和条項の適用があり、それは本件争議中も有効であつたから、従つて第一組合が本件の如きストライキを行うこと自体できなかつたのではないかとの疑問がある。しかしながら年末手当の点については、これが妥結しなかつた結果ストライキに入つたものではなく、仮にストライキの一因になつていたとしても平和条項違反であるに過ぎないと認められるから刑事免責の適用については影響がないし、また、諸手当の中に進上金が含まれていたかどうか疑問がないわけではないが、仮に含まれるとしても、使用者問題については右協定中に定めがないし、更に、昭和三四年一二月五日調教師会と第一組合との間に締結された、調教師は競馬会、共助会、馬主会等と共に労務処理機関を設けて交渉にあたる旨の、前掲協定書と題する書面第五項のその点に関する規定は、調教師会側がその義務を履行しないのであるからこれに拘束されるいわれはなく、結局使用者問題を争つてストライキを行い得ることは明らかである。のみならず、馬丁の使用者はひとり調教師会のみならず、競馬会と馬丁間にも労使関係の認められること前述のとおりであるから、従つて競馬会に対しては如何なる点を争つても争議に入り得る次第であるので、仮に調教師会に平和義務違反があつたとしても、本件におけるが如く、競馬開催時における争議においては調教師会に対する争議と競馬会に対する争議とは不可分の関係にあると認められる以上やむを得ないというべきである。(以上要するに、本件においては平和義務乃至平和条項違反の点は争議行為の正当性の事情として取り上げる必要がないものといい得る。第二の問題は、本件争議において相手方たる使用者側が組合側の要求に対しこれを解決し得る可能性があつたかどうかの点である。しかし、本件ストライキの相手方はひとり調教師会のみならず競馬会もその一員であると認められること前述のとおりであるから、第一組合の本件争議における前述の如き諸要求事項は少くとも調教師会、競馬会の二者が協力するにおいては十分とはいえないまでも相当程度解決する可能性はあつたものと認められるから、第一組合の右諸要求をもつて解決し得る可能性の全くない不当な要求であつたということはできない。従つて、この点もまた争議行為の正当性に関する前述の結論に影響を及ぼすものではない。

しかしながら、被告人木下、同青木、同板倉は事に急なる余り、第一組合の前記の如き指令の範囲を超え、独自の判断で判示認定の如き傷害、損傷等の積極的加害行為に及んだものであるから、同被告人等の所為がたとえ争議行為の場において行われ、しかも争議を有利に解決する意思をもつて行つたものであつても、同被告人等の所為は争議行為の範囲を逸脱したものというべきであり、これに対しては最早その正当性の有無を判断すべき余地がない。従つて弁護人等のこの点の主張はこれを採用することができない。

第五、正当防衛の主張に対する判断

被告人木下、同青木、同板倉の弁護人等は、同被告人等の本件所為は刑法第三六条の正当防衛に該当すると主張し、その理由として、競馬会は不正な競馬を強行しようとし、調教師、調教助手、騎手、第二組合所属の馬丁等がこれに加功して実力をもつてピケラインを突破せんとする急迫不正の侵害行為に対し、同被告人等はその所属する第一組合の利益、同被告人等の団結権、平和裡に団体交渉をなし得る法律上の利益、不正競馬によつて蒙るであろう一般競馬フアンの財産権、ピケラインの強行突破の際の混乱によつて現に侵害され又は侵害される虞れのある同被告人等第一組合所属の馬丁及び一般競馬フアンの生命身体の安全を防衛するため止むことを得ざるに出でた反撃行為であるというのであるが、同被告人の本件所為に及んだ事情経緯及び所為の態様は判示犯罪事実並びに前記第一において認定したとおりであり、いずれも正当防衛とは認め難いので、この点の主張もまた採用することができない。

(以上の事実は、特記するもののほか、以下の証拠によつて認定したものである。第三一回公判調書中被告人木下、同青木の各供述部分、第三二回公判調書中被告人福田、同板倉の各供述部分、第三回、第四回公判調書中証人宮川知典の供述部分、第六回、第七回公判調書中証人小川佐助の供述部分、第二一回公判調書中証人百瀬智夫の供述部分、第二四回公判調書中証人吉田清志の供述部分、第三五回公判調書中証人尾上忠義の供述部分、第四八回、第四九回公判調書中証人武田文吾の供述部分、被告人福田、同木下、同青木、同板倉(昭和三五年一二月二一日付)の検察官に対する各供述調書、第六回公判調書中証人大橋鉄雄の供述部分、第九回、第一〇回公判調書中証人古田四郎の供述部分、第一一回公判調書中証人田中良平、同新谷辰次の各供述部分、第一二回公判調書中証人井上広志、同武邦彦の各供述部分、第一三回公判調書中証人渡辺信忠の供述部分、第一四回公判調書中証人諏訪佐市、同迫田八男の各供述部分、第一五回公判調書中証人清田十一、同寺崎義則の各供述部分、第一八回公判調書中証人武平三の供述部分、第二七回公判調書中証人内海国夫、同鷲田茂、同三浦勝也の各供述部分、第二八回公判調書中証人安持重春同加藤勲の各供述部分、第二九回公判調書中証人末吉秀雄の供述部分、第三五回公判調書中証人後藤義紹の供述部分、野本宇兵衛作成の「捜査関係事項の照会回答について」と題する書面、神内歓次郎作成の「昭和三五年一一月一三日の馬丁争議における出走馬の担当馬丁及び出走経路などの調査について」と題する書面、当裁判所のなした検証調書、司法警察員作成の実況見分調書三通、司法巡査撮影の写真一四葉(検甲第四号)、写真帳二冊(それぞれ検乙第七号、第九号)、「協定書」と題する書面五通、使用済採光弾(検乙第一号乃至第五号)、証人野本宇兵衛、同宮川知典、同戸嶋千秋に対する受命裁判官の各尋問調書、証人土屋四郎、同亀井由男、同難波晶、同土方義雄に対する当裁判所の各尋問調書。)

第六、被告人福田武雄に対する無罪の理由

被告人福田に対する本件公訴事実の要旨は、被告人福田は相被告人木下等約二〇名の第一組合所属の馬丁と共謀のうえ、昭和三五年一一月一三日午前一一時一五分頃、京都競馬場内装鞍所南出入口付近において、調教師田中好雄、調教助手田中良平等が競争馬マリー号を第二レースに出走させるため同所から下見所に指定された馬場へ引き付けようとするのに対し、その進路に立ち塞がり喚声を上げ、赤旗や寝藁棒等を振り廻し、或いは爆発音を発する玩具用花火を投げつけて炸裂させ、被告人福田において右田中良平の胸倉をつかみ胸部を突きはなす等の暴行を加え、相被告人木下において同人に判示認定(犯罪事実第一)の如き暴行を加え、よつて同人に対し治療三週間を要する左前胸部打撲傷の傷害を与え、もつて威力を用いて右田中好雄等の業務並びに日本中央競馬会の競馬施行の業務を妨害したものである、というのである。

しかしながら、被告人福田が自ずから直接に田中良平に対し暴行を加えたとの点については、これを認めしめるに足りる証拠がない。即ち、第二〇回公判調書中被告人福田の供述記載部分、及び第一一回公判調書中証人田中良平のこの点に関する供述記載部分は、第三二回及び第四九回公判調書中被告人福田の各供述記載部分、第二七回公判調書中証人内海国夫、同鷲田茂の各供述記載部分、並びに写真帳(検乙第七号)中番号一三乃至一五の写真三葉に対比して考えると、いずれもこれを措信することができず、他にこの点についての適格な証拠がない。相被告人木下の傷害行為は、前記認定の如く、同被告人の単独犯行であると認められているのであつて、被告人福田に対し共犯者としての責任を問うこともできない。また、被告人福田が約二〇名の第一組合所属の馬丁等と共に競争馬マリー号の進路に立ち塞がり喚声を上げ、赤旗や寝藁棒等を振り廻し、或いは爆発音を発する玩具用花火を投げつけて炸裂させる等の所為に出て、競争馬の出場を阻止しようとした点については、前記「訴訟関係人の主張に対する判断」中「第四正当行為の主張に対する判断」に際し示したのと同一の理由により、未だ正当な労働争議行為の範囲内に止つているものであつて、威力業務妨害罪に該当するものとして処罰するに価しないものというべきであり、他に正当な労働争議行為の範囲を著しく逸脱した違法なものであることを首肯せしめるに足りる証拠がない。従つて、被告人福田に対する本件公訴事実は、結局犯罪の証明がないというに帰着するから、刑事訴訟法第三三六条に則り同被告人に対し無罪の言渡をなすべきものである。

よつて、主文のとおり判決する。

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